蘇る「東西対立」の中で

いろいろぼかして書くけれども、最近、かつての東西対立に振り回されて右往左往していた知識人たちの感覚というのが内在的にわかるようになってきた気がしてつらい。こんなものわかるようになりたくなかった。私は物心ついた頃にはベルリンの壁が崩壊しソ連もなくなってしまった世代で、強力な二大陣営のどちらにつくのか事あるごとに踏み絵を迫られるというような感覚は自分ではほとんど経験していない。大学に入って運動などに関わってからも、基本的には「米帝」独り勝ちの状況の中で、米国(とそれに追従する日本)批判を繰り返していればよかった。もっと上の世代の人なら「反帝反スタ」が切実なスローガンだったろうが、それを知識として知ってはいても、私にとって「スタ」の存在感は実感としては無きに等しかった。日本共産党にぶん殴られた経験もないし、実際に出会う共産党員といえば弱小政党を懸命に支える生真面目なご老人といった方々ばかりで、失礼ながら脅威と感じるには弱すぎた。圧倒的な力の差があれば、両者どちらも支持できないとしても、とりあえず「弱い者いじめはやめろ」という正義が成り立つ。とにかくアメリカが悪い、と言っておけばよかったのもそういうことだ。
そういう感じで過去二十年ほど、二大陣営対立の時代はもう終わったのだと漠然と信じつつ生きてきたのだが、ここへ来てまたぞろ「東西対立」が蘇るのを見る破目になるとは。歴史が単純に繰り返すわけはないだろうが、では私たちはこの「いつか見たような風景」の中で、どうすれば前よりも賢明に振る舞っていくことができるのだろう。