農業の人手不足はやはり機械化で解決していくべきでは

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASPC565HBPC5UTIL026.html?pn=5

この件、「給料を上げて国内労働者を雇え」という意見が多く、一見正論に見えるものの、いろいろ考えるとそれでもだめなんじゃないかと私は思う。まず記事で語られているように、現状として国内労働者はこういう仕事をやりたがらないし、来ても定着しない。
1人あたり500万収入があるなら300万くらい給料出せるだろうと言っている人がいるが、国内労働者は同じ300万ならおそらく他の仕事を選ぶ。年収1000万くらい出せばやりたがる人もいるかもしれないが、ホウレンソウの収穫作業にそれだけの人件費を使った場合、ホウレンソウの末端価格はいくらになるのだろうか。それでも他に全く選択肢がなければ消費者は買うしかないが、あいにく他の食品とか輸入品とかの選択肢が存在してしまうので、国産ホウレンソウは単に売れなくなって農家が潰れて終わる。(そこで補助金等をつぎ込んで「国策」として国内農業を保護するというのは実際に行われてもきた一つの政策ではあるが、今の「技能実習生」がやっている仕事に年収1000万(半分の500万としても)を保障するというようなことはどう逆立ちしても無理だろう。)
国内労働者がやりたがらない仕事にベトナムなどの他国から来てくれるのは、今は国家間の経済格差が大きく、日本で「技能実習生」をやって得られる(と騙される)収入が出身地では「年収1000万」くらいの価値を持っていたりするからだ。この制度が問題だらけで人権侵害の温床だということはしばしば話題になっている通りで、廃止して労働者として受け入れろという意見は正しいと思う。ただしそれも、経済格差を利用して交渉力の弱い外国人労働者を安く使うという方向なのは変わらない。それでも来たいという人たちがいる以上双方の利益になるとも言えるのだが、国内労働者のやりたくない重労働を外国人にやらせる、それによって重労働が低賃金に抑えられ、物価も抑えられるが国内労働者の賃金も上がらない、という方向をそれでよしとすべきなのかは悩ましい。「給料を上げて国内労働者を雇え」という人はよしとしないのだろう。しかしそれならどうするかというところで、上に書いたような、現在の日本の国内労働者は多少給料を上げたところでこのような仕事には来ない、という事実が横たわる。
まず直視しないといけないのは、私たち自身を含めほとんどの労働者が、毎日ひたすらホウレンソウの収穫、調整をするような仕事を積極的にはやりたくないのだということ。「給料を上げて人を雇え」と言っている人たちも、では自分が年300万、あるいはたとえ500万でも農家に雇われてホウレンソウの収穫をしたいかと問われたらどうだろう。私はあまりやりたいとは思わない。
私は畑仕事をやっていたこともあり、それはかなり楽しいことだったのだが、そういう趣味的にやる農作業と雇われて機械的にホウレンソウの収穫をする作業を混同はしない。自分の小さな畑を自分の思うように耕す自営有機農家などは確かにやりがいのある魅力的な仕事かもしれない(それでも実際にやりたがる人は少ないのだが)。しかし圧倒的多数の食料とその価格を支えているのはこの記事のような大産地の慣行農家とそこに雇われて「みんながやりたがらない」単純(と見なされる)労働をしている人々だ。

そこでいろいろ考えると、私が現時点で一番ましだと思う方向は結局、機械化になる。外国人2人分を国内から雇え、ではなく、2人減っても困らないようにしろ。この記事ではホウレンソウの収穫、調整がすべて手作業なので人を雇わないといけないと言っているが、そういう作業をできる機械が全く開発されていないわけでもない。まだ技術が未熟だというだけだ。そこに投資をし技術を高めて、将来的に労働者が減っても同じ量の出荷ができるようにすればいい。

https://www.google.com.hk/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.alic.go.jp/content/000144928.pdf&ved=2ahUKEwiLmpm164L0AhWGr1YBHWqmDkQQFnoECBcQAQ&usg=AOvVaw2076XWTKM8xjTVrL4apnxZ

日本の国内労働者は少子化でこれからも減り続けるし、経済格差で呼び寄せている外国人労働者はその格差が縮まれば来てくれなくなるだろう。実際にそういう理由で「技能実習生」の出身国は次々と移り変わってきた。
そして何より、社会に必要だがほとんどの人間がやりたがらない重労働というものがあり、

1. 金で縛って貧しい人間にやらせる
2. 機械化してその労働自体をなくす

という選択肢がある時、1を選び続けることが合理的とも倫理的とも私には思えない。