不妊手術の禁止を違憲として訴訟提起

 「わたしの体は母体じゃない」訴訟と称して、現在の「母体保護法」による不妊手術禁止を違憲と訴える訴訟が提起されたとのこと。

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原告の一人が公開している陳述書はこちら。

note.com

 

 

 自分の希望のみで不妊手術を受けることが法律で禁じられているのはおかしい、という訴訟。遠からずこういうは動きは出てくるだろうなと思っていたけれど、案の定。

 「母体保護法」が家父長制的かつ国家主義的な発想を背景にしていて、すでに時代に合っていないのはその通りだろう。自己決定の尊重という原則からすると、自分の意思で手術を受けるのは本人の自由であり権利だ。しかも、現在の日本の法律は戸籍変更を望むトランスジェンダーに対して「生殖機能を欠くこと」つまり不妊手術を要求している(ただしこれは昨年10月の最高裁判決で「違憲」とされた)ので、一方では望む人の不妊手術を禁止し、一方では望まない人に不妊手術を強いるという人権侵害になっている。

 だから原則としては、この原告たちの主張は正当だと思う。本人の意思に基づく不妊手術が法律で禁止されている現状はおかしい。

 ただ、この話に限らず、「本人の意思で」「医療技術を用いて」「自己の身体を改変する」こと全般として考えてみると、自己決定原則で推し進めていけばいろいろとトラブルが出てくるのは避けられないとも思う。すぐに思いつくところでは、本人が「後悔」したらどうするのか、予期せぬ事故が起きたらどうするのか、等々。不妊手術は手術の中では比較的リスクは低そうだが、もっとリスクの高い手術の場合はどうなるか。

 海外で「身長を伸ばす手術」を受けた結果、失敗して重い障害が残った人の体験談を見たことがある。その人はその結果もまさに自己責任として引き受けていたようで、愚行を含む自由の原則を貫けばそれでいいとは言える。私も個人的にはパターナリズムへの警戒の方が強いので、たまにそういう人がいてもいいじゃないか、しかたがない、と思うところはある。しかし、現実の社会にはどこまでが自己決定か曖昧な状況が山のように存在し、パターナリズムの単純な否定は殺伐とした「弱者」の無視につながりかねないということもわかる。

 その一つの極として、本人の意思による「安楽死」をめぐる議論があることも思い出さないわけにいかない。私の中のリベラリストはこの不妊手術のような自己身体に対する自由を基本的に支持するのだが、その延長上に「安楽死」の問題が見えた時、明確に支持とは言いにくいためらいが生じる。(以前は明確に反対だったが、今はそうではなくなった。)身体改変と「後悔」すらできない死との間には確かに断絶があるが、自己身体に対する本人の自由、決定権という点では無関係でもない。自己決定の尊重を原則としつつ、ではいわゆる自己決定が常にそう呼べるような環境でなされているのか、という疑問が、たとえば日本で積極的安楽死が合法化された状況を想像すると浮かんでくる。

 

 また別の現実的な問題として、どこまでを医療保険で補助するのかという線引きの問題がある。医療というのは本来は望まずして負った病気や怪我に対応するためのものなので、「より望ましい身体に変えたい」という希望を叶えるところまでは想定されていない。したがって美容目的の整形手術などは今も保険適用外だ。

 これについてはいわゆる性別適合医療をめぐって以前から議論があった。ずっと昔に読んだ『トランスジェンダリズム宣言』(2003年)には、「美容整形にも保険適用を」というすいぶん過激な主張があったのを思い出す。その後もネット上などでは「じゃあおばさんのシミ取りに保険が使われて納得できるのか」といったやりとりが飛び交っていて、いろいろと考えさせられた。

 とはいえ単なる思考実験ではなく現実としては、日本の医療保険制度はそれでなくとも支出削減を迫られているので、適用範囲が狭くなることはあっても広くなることは考えにくいだろう。ただ、トランスジェンダーにしても自ら不妊手術を望む人にしても人口の中では少数で大勢に影響しないため、運動しだいでは案外すんなり適用される可能性もある。しかしそのためには、現状の性別適合医療の一部がそうであるように、便宜的にでも何らかの病名をつけ、その治療という名目が必要になる。

 この訴訟で原告になっている人たちの中には明確に「苦痛」を語っている人もいるので、その場合はそれを病気とし、その治療として不妊手術が処方されるという形にすれば、保険医療の枠内に収まるだろうか。指定された病院の精神科で順番待ちをし、不妊手術を望む背景を根掘り葉掘り聞かれた末に診断書をもらう、という手間をかけても保険適用を望む人はそのルートで、全額自己負担でもいいから手間を省きたいという人は別のルートで、という選択肢が生まれるのだろうか。それは性別適合医療ですでにそうなっている状況だ。

 ともかく、本人の望む不妊手術も禁止する現在の法律がおかしい、そこまでは原告たちの主張が全く正当だ。その上で、「自己決定」とは、「医療」の範囲とは、といった他のさまざまな問題にも通じる要素がこの訴訟にはある。これをきっかけにどんな議論が進むのか、とても興味がある。